まつにたか ず びょうぶ そがにちょくあん
越前朝倉家の絵師であった曽我派は、朝倉家が滅亡した後、堺に移り住み曽我派の再興を目指した。曽我二直庵(?-1656以降)は堺で活躍した曽我直庵の後継者で、鷹図を得意とした。