青磁耳杯
せい じ じ はい
- 古越磁 長径10.3㎝
- 東晋 4~5世紀
No.21058
楕円形の杯の両側に、縁に沿うように細長い持ち手のついたこの形を耳杯と呼ぶ。本作は昭和18年(1943)に小山冨士夫が『支那青磁史稿』で紹介した作品で、このときは羽のある杯ということで「羽觴(うしょう)」と呼ばれている。耳杯には珍しく薄く丁寧な作りで、見込みと耳の上面に菱形の文様が刻まれている。縁には繕いがあり、所蔵者が大切にしていたことが偲ばれる。
この耳杯の特徴は、横から見た時に両端が上に反るように作られた形で、世に多く見る耳杯が重く厚作りであるのに比して、軽やかでシャープな印象である。耳杯は漢時代から既に見られ、その後三国、両晋、南朝と作り続けられた器種であるが、本作のような両端が上に反った舟形の耳杯は、江蘇省軟禁雨花台の太元4年(379)墓はじめ東晋とされる墓からの出土が知られ、東晋以後に現われたようである。江蘇省南昌の東晋墓からは、こうした形の耳杯はやきものだけでなく漆や銅器の出土も知られる。
掲載図書
小山冨士夫『支那青磁史稿』文中堂、1943年
『常盤山文庫と町田市立博物館が語る 中国陶磁うつくし』町田市立博物館、2016年(解説 佐藤サアラ)